お久しぶりです。本日は古い話ですみません。
最近70年代のリバイバルブームですが、雑誌POPEYEにも70年代の記事が再び登場しています。これは1977年11月10日発売のポパイ18(VWの特集)号です。その中でPOPEYEFORUMという情報の中に筆者達が当時結成していたPELEBUGSというビートルのクラブが紹介されています。会長のS氏はその後、鈴鹿サーキットで開催された伝説のBUGINJAPANの実行メンバーの一人で今でも雑誌等に登場しています。副会長の筆者は富士スピードウエイジムカーナAコースで行われた第4回SCATジムカーナでG3(改造車)クラスで優勝と総合優勝をさせてもらいました。PELEBUGSの名前は当時HAWAIIにあったチューニングショップの名前からもらいました。ちなみにPELEはHAWAIIでは火の女神のこと。クラブのマスコットカーはA氏の68年のフルチューン(2130CC)エンジンは横浜ヤナセ製だったらしい。スタート風景。赤いベストのいすに座っているのがSCATの古沢氏。前回優勝の当時一番有名だったビートル(BYEBYEPORSHE)会長S氏のピーマンビートル。筆者のビートル。今見るとすごくノーマルですが、1835CC、ツインウエーバー40DCN、KONIショック、SCATステインガー(詳細は後日)後日に続く。
この記事へのコメント